新・京都想い出めぐり

あなたの思いで場所へ行き写真を撮ってきます。

紅葉と竹の寺 (たけのてら)


竹の寺秋1
通称名、紅葉と竹の寺 (たけのてら)
通称名、谷の地蔵(たにのじぞう)
正式名、衣笠山・地蔵院(じぞういん)
京都市西京区山田北ノ町23

一休さんでお馴染みの一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は幼少時、地蔵院(じぞういん)で修行したと伝えられている。地蔵院は、衣笠山(きぬがさやま)と号する臨済禅宗の寺で、通称、谷の地蔵(たにのじぞう)、又は、竹の寺(たけのてら)とも呼ばれている。

竹の寺秋4

この地には、もと歌人の藤原家良(ふ<じわらのいえよし)の山荘があったが、家良(いえよし)の没後、貞治6年(1367)に、室町幕府の管領であった武将細川頼之(ほそかわよりゆき)が、宗鏡(そうきょう)禅師に深く帰依して当寺を創建した。

竹の寺秋3

以後、地蔵院は、細川家の庇護を受け、次々と伽藍(がらん)を建立し、境内塔頭三院、末寺23寺を数える一大禅刹となったが応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた。

竹の寺秋2

江戸時代中期に中興され、江戸期には天龍寺に属していたが昭和四十三年に独立して単立寺院となった。
現在の本堂(地蔵堂)は、昭和十年(1935)に再建したもので、堂内には、本尊の延命安産地蔵菩薩のほか、夢窓国師(むそうそせき)、宗鏡(そうきょう)禅師、細川頼之の木像を安置している。
方丈前には、「十六羅漢の庭(じゅうろくらかんのにわ)」と呼ばれる枯山水庭園があり、本堂南には、宗鏡(そうきょう)禅師、細川頼之(ほそかわよりゆき)の墓がある。

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  1. 2009/11/07(土) 11:53:15|
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赤山禅院 (せきざんぜんいん)


赤山禅院1
赤山禅院 (せきざんぜんいん)
通称、赤山さん、 (せきざんさん)
京都市左京区修学院開根坊町18

境内の福禄寿殿が、「都七福神」の一つとされ、紅葉の名所でもある赤山禅院(せきざんぜんいん)は延暦寺(えんりゃくじ)の塔頭(たっちゆう)。

赤山禅院2

本尊は泰山府君(たいさんふくん)(赤山大明神)である。慈覚大師円仁(えんにん)の遺命により仁和四年(888)天台座主安慧(あんえ)が創建。

赤山禅院3

京都御所(ごしょ)から見て表鬼門(おもてきもんの方角(東北)に当たるため、方除けの神として、古来信仰を集めてきた。拝殿の屋根に瓦彫の神猿が御幣と鈴を持って京都御所を見守っている

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  1. 2009/11/04(水) 17:52:39|
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神護寺 (じんごじ)


神護寺1
神護寺 (じんごじ)
京都市右京区梅ヶ畑高雄町5

神護寺は市街地から離れた山中にあり、京都市内よりも一足早く紅葉が楽しめる。金堂や多宝塔など、広大な境内の各所が鮮やかな紅葉に彩られる。

神護寺2

神護寺 (じんごじ)は真言宗の古刹で、もとは和気氏の氏寺である。809年(大同4)から14年間空海(弘法大師)が住持、その後、荒廃したが、平安末期、文覚上人が再興する。

神護寺4

国宝の薬師如来像をはじめ平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡などが多く残る。梵鐘(国宝)は日本三名鐘の一つ。紅葉の名所。
建立:781(天応元)年(奈良時代)

神護寺3

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  1. 2009/11/03(火) 19:48:34|
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金地院 (こんちいん)


金地院5
金地院(こんちいん)南禅寺塔頭
京都市左京区南禅寺福地町

応永年間(15世紀初頭)に室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基(だいごうとくき)を開山として洛北・鷹ケ峯(たかがみね)に創建。

江戸時代に徳川家康の信任が篤く、徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり「黒衣の宰相」と称された南禅寺(なんぜんじ)の中興開山の以心崇伝(いしんすうでん)によって現在の地に移築され再興される。

以心崇伝(いしんすうでん)が、宗教界全体の取締りを行う僧録司(そうろくし)となり、以後、幕末まで金地院(こんちいん)が僧録司(そうろくし)の地位にあった。

金地院4

本堂(大方丈)
慶長16年(1611年)に崇伝(すうでん)が伏見(ふしみ)桃山城の一部を徳川家光から賜り、移築したものという。内部は狩野探幽(かのうたんゆう)などの襖絵で飾られている。

八窓席
金地院崇伝(すうでん)の依頼により小堀遠州が好んだ三畳台目の茶室。貴人座の扱い、また赤松皮付の床柱に黒塗框という取り合わせなど、小堀遠州の茶室の典型的な作例である。創建当時は名称通り8つの窓があったが,明治時代の修築で6つとなった。

金地院3

東照宮には、
崇伝(すうでん)が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って寛永5年(1628年)造営したもので、創建当初は日光東照宮と比された。

開山堂には、後水尾天皇の勅額を掲げる崇伝(すうでん)の塔所で、左右両側には十六羅漢像(らかんぞう)が安置されている。
明智門には、天正10年(1582)に明智光秀が母の菩提のため大徳寺(だいとくじ)内に建立したもので、金地院へ明治元年(1868)に移築された。

金地院1

庭園(国の特別名勝)は、小堀遠州の作で、「鶴亀の庭」と称される。崇伝(すうでん)が徳川家光のために作らせた。作庭には小堀遠州が当たった(遠州作と伝えられる庭は多いが、資料が残っている唯一の例)。桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水庭園として知られる。

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  1. 2009/11/02(月) 21:05:00|
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将軍塚大日堂


将軍塚1
将軍塚大日堂(しょうぐんつかだいにちどう)
地下鉄東西線『蹴上(けあげ)』駅から徒歩30分。だが徒歩では無理 (無料駐車場あり)。徒歩ですと暗い山道を登ることになるので、車、タクシーでの参拝をお勧めします。

将軍塚大日堂・展望台 眼下に京都市内を一望。散策を楽しめる広々とした庭園をライトアップをしている。広大な庭園を覆うようにモミジが色づき京都市内が一望できる展望台が2カ所あり、澄み切った日には生駒山、比叡山はもちろん大阪湾も見える。(10月31日(土)から12月6日(日))まで。

将軍塚2

東山ドライブウェイの頂上に、無料駐車場と展望台があり周辺でも、ある程度市内が見え夜景も綺麗です。しかしそこは本当の将軍塚ではありません。駐車場から北へ百メートル程行きますと、門が見え、青蓮院(しょうれんいん)の飛地境内である将軍塚大日堂がある。その境内は外からは想像もつかないほど広大で、四季を通じて、いろいろな美しさを楽しませてくれます。

将軍塚4

将軍塚3

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  1. 2009/11/01(日) 22:19:18|
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