
総本社・
八坂神社 (やさかじんじゃ)
京都市東山区祇園町北側625番地
八坂神社(やさかじんじゃ)は、
素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする全国各地にある神社の名称。
日本全国に約3000社あるとされる。
7月の祇園祭(ぎおんまつり)で知られ、京都では、かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれている。
八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前の
斉明天荷二年(656)と伝えられている。
都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、
現在も約3千の分社が日本各地にあるという。八坂神社はながらく、「
祇園社」「感神院」などと称したが、明治維新の神仏分離にともなって、「
八坂神社」と改称した。
創建については諸説あるが、
祭神は古くから牛頭天王およびそれに習合した素戔嗚尊(すさのうのみこと)であったことは確実であるという。
古くからある神社であるが、
延喜式神名帳には記されていない。
これは神仏習合の色あいが濃く
延暦寺(えんりゃくじ)の支配を受けていたことから、
神社ではなく寺とみなされていたためと見られるが、
平安時代中期ごろから一帯の産土神(うぶすな)として信仰されるようになり、朝廷からも篤い崇敬を受けた。
祇園祭(ぎおんまつり)の由来祇園祭は貞観年中(859〜877)
京の都に疫病が流行したとき、
勅を奉じて神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を祭り、
洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って災厄の除去を祈ったのに由来し、
平安時代の中頃からは規模も大きくなり、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきた。
室町時代になると町々の特色ある山鉾が作られて、
応仁の乱前、既に6月7日に31基、14日に27基の山鉾のあったことが「祇園社記」に記されています。
応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中絶したが、
明応9年(1500)には復活し、
その時から山鉾巡行の順位を決める「くじ取り式」が侍所で行われるようになる。
以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、
近世には度々の火災で多数の山鉾が焼失したが、その都度、町衆の心意気によって再興している。
テーマ:京都の写真 - ジャンル:日記
- 2009/01/06(火) 12:12:53|
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